Archive for 2009年5月

理屈と芸術

5月 8th, 2009

理屈って言うのはどんどん世界を単純化してわかりやすくする作業で芸術は世界をどんどん複雑化する作業なんじゃないかなとふと思った。

例えば、お店とかでもショッピングモールとかチェーン店は理屈でできていて、できるだけ便利で簡単なものにしている。どこに行っても同じ店で同じものが売っていて買い物もしやすい。一方、個人で経営している居酒屋とかパン屋は経営者のいろいろなやり方があってルールもさまざま。そういうのは芸術的なものなんじゃないかな。

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理屈を追求していけば、どんどん物事は便利になるけどつまらなくなる。

芸術を追求していけば、どんどん物事が不便になるけどおもしろくなる。

パソコンて面白くて、本来パソコンは理屈でできているので面白くもなんとも無いんだけど、人がネットにつないで使うことによってどんどん複雑にして面白くしている気がする。理屈からはじまって人の手が複雑にして面白さがでてくる。

僕は生物学を学んでいるんだけれども、生物を研究していくということは、生物を理屈で理解できるように単純化しようとする作業であるんだけど、生物というのはそれ自体が芸術のような複雑さを持っているからおもしろいのかな。

人が美しさや面白さを追求していけば物事はどんどん複雑になっていくから、ややこしくて不便になるんだけど、人は生き物だからそうしたくなる。それが芸術かもしれないな。

美しいとか、魅力的だとか、かわいいとかそういう気持ちというのは複雑でややこしければややこしいほどうまれてくるものなのかもしれない。

高速道路1000円賛成

5月 8th, 2009

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高速道路が土日祝日1000円になって大分渋滞したようですね。僕は、定額給付金は反対ですが、この高速道路1000円というのは賛成です。道路があってもお金がかかるから使わないんじゃあ、作った意味がない。なのに今までは何千円もの料金を取って使わせないでいたってことですよね。

ただ、土日祝日に安くするというのは逆だったような気がする。平日に安くするべきだったんだよね。平日に暇な貧乏人が行楽に行き、平日働いている金持ちは土日祝日に高い高速料払わせれば渋滞もそんなに問題にならなかったかもしれない。

政治家って言うのは人気取るために動いているだけだから、あんまり頭使ってないんだよね。

しかし、今回の高速道路を1000円にして問題が浮き彫りになった。1000円になったから高速走ってみたら、渋滞で超低速道路になっていた。

落語の落ちに使えそうですね。

高速の料金を安くしたら道路があふれて渋滞になるということは、車の数が多すぎるか、道路が少なすぎるのどちらかなんですよ。駐車場で眠っている車達が一斉に動きだしたら糞詰まりになる。日本の車社会というのは機能していないということですね。一見、車って便利なようで日本ではもはや便利な乗り物じゃないのかもしれませんね。

大体ねカナダだと高速なんて無料ですよ。それでもモントリオールのような都会でさえそれほど長時間の渋滞は起こらない。こういう生活していたら、日本で車持つのはあほらしいです。日本だと車買っても走るところも限られていて駐車場代などの維持費もアホのようにかかる。車を維持するためにたくさん働かなくちゃいけないから乗る暇も無い。たまに乗ったら渋滞で自転車のほうが早かったりするんだからね。

鼻くそをほじった息子

5月 7th, 2009

僕には5歳の息子がいます。

鼻くそをほじったらしく、指の先には大きな鼻くそがついていました。

その鼻くそを見つめながら息子はぽつりといいました。

「これが赤かったら鼻血と呼ぼう。」

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国家の品格を読んだ

5月 6th, 2009

国家の品格 (新潮新書)を読んだ。

大雑把に言ってこの本は数学者が日本の情緒や武士道の精神が重要だということを書いている本だ。

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この本の3分の1は賛成できる部分もあるが、3分の2は賛成できないというか、説得力に欠けていて読む気がしない。あまりにも決め付けて論じるところが多すぎて、その決め付ける根拠がまったく説明されていないというなんともお粗末な理論が多い。

例えば、人はなぜ人を殺してはいけないかという問いに対して「駄目だから駄目」で終わらせています。駄目だから駄目というのは、時々尊敬できない先生が僕に押し付けてくる何も考えていない時の理屈です。僕は、人を殺してはいけない理由も人それぞれだし、人を殺しても良い理由も人それどれだと思います。駄目だから駄目と言うのは何も考えないでいいから楽でいいですね。僕はもう少し考えながら生きていきたいと思います。

その延長線上で情緒とか武士道も論じられていて、情緒とか武士道はよいからよいということに決め付けられてしまっています。人によって情緒も武士道もとらえ方が違うだろうと思うですが。それに外国人に情緒や武士道が通じないというのも決め付けられていて、何でそこまで思考をシャットダウンできるのだろうと不思議に思いました。

ただ、この本の中で言っている日本人としての誇りを持ち、独自の価値観を育てるべきだという主張は大いに賛成できることだと思いました。説得力は無いけど基本的に面白い考え方を書いている部分もあるなあと思います。

モンゴル

5月 5th, 2009

チンギスハーンの生き様を描いた映画モンゴル [DVD]をみた。

人種的には日本人と似ているところが多いといわれるモンゴル。

今の日本の横綱もモンゴル出身であるにもかかわらず、モンゴルの事については何も知らなかった。

遊牧民族、モンゴル相撲、そしてチンギスハーンくらいしか知らなかった。

そして興味もなかった。

この題名モンゴル [DVD]だけをみたらまったく興味も湧かないDVDだったが、たまたま図書館で借りる事ができたので借りてみた。

チンギスハーンの壮絶な生き様が描かれていて、その強い精神力に圧倒された。

モンゴルの人たちがどのような歴史の上で成り立ち、どのような生活をしているのか触れることができ、モンゴルに興味が湧いてきた。

5月 2nd, 2009
炎

炎というのを眺めていると飽きない。

昔は、老人がよくドラム缶のなかで焚き火をしながら集まっていたものだ。

今はあの老人達はどこに行ったんだろう。

炎をみているとどこまでが境目なのか、何色なのかわからなくなってくる。

実は人の視覚と言うのはそこにあるものを見ているわけでない。

そこにあるものを、光を通して脳に焼き付けてみているわけだから、脳みその中で作り上げた像を見ているわけだ。

もしかしたら、僕の見ている炎とあなたの見ている炎はまったく別のもののように写っているかもしれない。

インターネット検索最大手の米グーグルが進める書籍検索サービス

5月 2nd, 2009

インターネット検索最大手の米グーグルが進める書籍検索サービスについて、詩人の谷川俊太郎さん、作家の三木卓さんらが30日、東京都内で記者会見し、著作権侵害の恐れがあると危機感を訴えた。

谷川さんは「利用に応じてどれだけの著作権料が支払われるのかが不透明。グーグルはやり方が一方的で、グローバリズムのごうまんさを感じる」。三木さん は「ネットは公共のものというイメージがあるが、ネット上でどう作品を扱うか決めもしないのは納得がいかない。一種の文化独裁だ」と怒りをあらわにした。

ソース http://www.asahi.com/national/update/0430/TKY200904300285.html

著作権に関してこういう話題があるのだが、う~ん。

こういうことを書いたら怒られるかもしれないが、それを承知の上で書くと、この人たちはせこいし、時代遅れだね。

僕は著作権を主張して、メディアで取り上げられたものばかり、作品としての利益を得ることにすごく不満がある。

本来、CDやDVD、印刷物として出版しているものは所詮コピーだ。

本物のライブとは違う。そんなコピーでお金を儲けようなんて虫が良すぎる。

これはアメリカ独特のシステムで、効率よくお金を稼ぐアメリカンドリームの象徴だろう。

そのせいで本物の文化が育たなくなっているのがアメリカだ。

例えば、下手なCDが何万枚売れるよりも地方の小さな音楽バンドのコンサートにお金を払って人が集まるほうがよっぽど音楽文化の発展に貢献すると思う。

そうやって切磋琢磨して産まれてくるからオリジナルな、独特の音楽がたくさんうまれ、それぞれのよさがたくさんうまれるのだと思う。

CDやDVD、本などのコピーの量産で儲ける考え方はそういう多くの人たちの権利を迫害している。

アメリカは日本より100年ほど先を進んでいるので、そのあたりの弊害を自覚して、著作権ばかりを重視して、いろいろな文化がいろいろな人に伝わることを阻害していることに気づき始めている。

だから、著作権が保護されるのが50年というのは長すぎると考えている人が多い。

また、メディアから一方的に流される情報をつまらないという事に気づきはじめている人が多くなってきている。

現に、ユーチューブやネットのコンテンツなど自分で探して、自分の好みに合った楽しみ方を模索するように、社会は変わってきている。

グーグルのような媒体を使って誰でも情報をいろいろなところから得ることができ、いろいろな情報を楽しむことができるというのは当然の流れじゃないだろうか。

そもそも、著名な人たちは、著作権という儲けの手段の上にあぐらをかいてしまって、本当の情熱を失ってしまっている。

本来、作品を出す人たちは多くの人たちに喜んでもらうために作ったはずだ。

なのに、より多くの人たちに公開されることをお金の問題としてだけ捉えているのは、正直狭いなと思ってしまう。

ま、別にそれはそれで人によって考え方が違うのだからいいけど。

ブロガーなんて一銭も儲からないのに、いろいろな人に面白い文章を書いている人がいて、そういう人たちこそほんとうの文化人なのかもしれないなとおもう。