Archive for 2009年6月

正確な時間の測り方

6月 20th, 2009

子供に時間のことを教えていたら、次々に時間に対する疑問が湧いてきた。

例えば重さや長さなどはそれぞれ違う測り方が存在する。

それは、国王の親指の長さだったり、適当に基準を決めれるから可能だ。

だから文化によってさまざまな測り方ができるのでいろんな単位が存在する。

しかし、時間の単位はおそらく時計が発明されてから世界に広がったであろうから、世界共通の測り方をしているのだろう。

じゃあ、その時計はどうやって正確に時間を測定して、それをみんなが共有しているか。

基準になるはずの時計が正確に時間を刻まなかったら、みんなの時計はちょっとづつズレていってしまう。

地球の自転だって4年に一回閏年があるくらいだからそんなに正確に回っているはずが無いだろう。

どうやって基準を決めているんだろうか?

イギリスかどっかの偉い人が適当に秒針をいじって世界の標準時刻を決めているかもしれんなあ。

そこでちょっと調べてみた。

まず、みんなが持っているのはクォーツ時計というのがあるそうだ。水晶が発する周期的な信号で時刻を刻むらしい。月に30秒ほどズレが生じるので適度に修正する必要がある。

次に、原子時計というのがあって、こちらは精度の低いものでも3000年に一秒くらいしか狂わないそうだ。

原子時計を使って国際原子時(TAI)という正確な時間が決められているらしいのだが、これが地球の自転にわずかな不規則性があるので自転とのズレを生じるそうだ。

だから、正午に太陽が頭のてっぺんに来る時間と国際原子時とは差ができるので地球の自転にあわせた協定世界時(UTC)というのが作られているそうである。現在TAIとUTCの時間差は30秒ほどあるそうだ。

やっぱどっかのおっさんが時間を自転にあわせて微妙に調整していたんだなあ。

この自転の微妙なズレがあるというのは非常に面白い現象だなあと思う。

この微妙なズレがあるからこの世界が生じているのではないかと感じるのは気のせいだろうか。

365日24時間60分60秒

6月 19th, 2009

今娘が学校で時計について習っている。

うちの娘はめちゃくちゃ絵を描っくのは上手なのだが、数字に関わる事は苦手なようだ。

対照的に息子はめちゃくちゃ数字に強く2歳近く上の娘よりもよく理解している。その代わり絵は苦手。

同じ環境で育っても興味が異なればここまで頭の中が違うのかと思う。

で、僕もみかねて少し勉強を教えたりする。

まあ、勉強というのはできる事を繰り返しやらせて自信をつけさせる事が一番大事じゃないかと思う。

自信さえつけば教えなくても自分で勉強するようになるだろう。

できない事をいやいやながらやらせるよりもいいと思う。

で、時計を教えるのだが、子供はまだ時間という概念が頭に入っていない。

しかし、よく考えてみると時間というものはおかしなものである。

なぜ一日が24時間、一時間が60分と決められているのだろうか?

それは、365日24時間60分60秒なんて社会で他の人と話す時に伝わるように決められたルールなだけである。

例えば、日本とアメリカとヨーロッパで時間の単位が違っていたら時差などもあるし大変なことになっていたことだろう。

もしも、一日が12時間、一時間が120分だったとしたらもっとゆったりした生活をしているかもしれない。

一日のうちに一周しか時計が回らない。

朝3時におきて11時くらいに寝る。一時間が2時間分あるので大分アバウトな感じになるだろう。

もしも、一日が48時間、一時間が30分だったらかなり忙しい生活をしているかもしれない。

一日のうちに時計が4周もするわけだ。

「16時間も寝ちゃったよ」とか寝すぎな気がして、15時間、14時間、ついには10時間睡眠が標準睡眠時間になってしまうのではないだろうか。

なんていうのだろう。なんか人間てついついキリのいいところで考えたがると思うので、もし時間の刻み方が違っていたら世界の様子が全然異なっていたかもしれない。

掃除

6月 2nd, 2009

僕の読んだ本はとにかく部屋が片付けられない人がどうやったら部屋を片付けれるようになるかという掃除本でした。

僕の家はそこまでひどくは無いけど、キレイさに自信があるわけではない。

ちょっと気を抜いて生活してしまうと、本にあるようなゴミだらけの生活になるかもしれないなという気がした。

どうやら掃除は捨てるということが大事らしい。

捨てるかどうか判断するということは結構精神的なものに関わっていると思う。

自分が大事だと思っているものを捨てる勇気というものはなかなか持つことは難しい。

これは自分の癖や嗜好なども同じである。

よくない習慣やよくない考え方はどんどん捨てていったほうがいいだろう。

また、掃除もただキレイにすることが目的であれば、キレイにしたまま使わなければいい。

しかし、使わないのであればキレイにしている意味が無い。

理想のキレイさとは機能的で整理整頓されている状態だと思う。

そう考えると、よく使うものはよく見るところ、よく使う場所に配置して、使う頻度が少なくても確実に必要なものは奥深いところにしまいこんでいてもいい。

あまり使わないものを自分の周りから遠ざける(捨てる)というのは物理的にも精神的にも必要なことなんだろうなあ。

普段の何気ない行動をもう一度見つめなおしてみようかな。