1972年2月6日に僕は生まれたらしい。1972年2月6日にそれほどの意味があるとは思えないが、この37年間、重要な書類には必ず1972年2月6日生まれと書かされる羽目になった。そして僕は毎年2月6日を迎えるたびに周りの人から祝ってもらっている。
そう考えると人はつくづく物事を単純にしたがると思う。確かに、1972年2月6日の雪の降る深夜、胎盤に包まれた僕の体がこの世に吐き出された。その瞬間から、僕は呼吸をし、泣く事をはじめ、別の生き物となった。それをみんな口をそろえて誕生日だという。
だけれども本当は僕がいつどこで誕生したのか考えれば考えるほど分からなくなってくる。受精した瞬間が僕の誕生した時だったのかも知れないし、卵子と精子だった時から僕は僕だったのかもしれない。そう考えると、僕は卵巣と精巣でバラバラに生まれていたのかもしれない。
いや、もしかしたら僕の父親が宮島で勇気を出して母親に声をかけたときが僕の誕生だったのかもしれない。
そう考えると僕はその昔どこにも存在していなかったのだ。存在するかどうかも分からない状態だった僕が、いつの間にか物質をかき集め、僕と言う形を形成し、僕と言う意志を持ち、僕と言う生き方をしている。
僕は愛と言うものの線上に存在するのかもしれないし、性欲の末の産物かもしれないし、エゴの塊かもしれない。
僕は一体何度精子になり、何度卵子になりここまでたどり着いたのだろうか。とてもじゃないけど1972年2月6日に生まれたと簡単には言い切れないほどのものが僕の体の中に入り込んでいるような気がする。