今日、7歳の娘が学校で3人の男から告白されたらしい。
恥ずかしがって嫌だったと言っていたが、もうそんな話題も出る頃なのかと、面白くなった。
僕も、よく女の子から告白されていたことを思い出し、
「とうちゃんは相手を傷つけないように断る方法をいつも考えてたわ。断り方は100パターンくらい用意しとかな。」
とアドバイスをしておいた。
僕も娘もどちらかというと美形とは言いがたいのだが、なにかしら人をひき付ける要素があるのだろうか。
なんて事をほざいていたら妻が爆笑していた。
今日、7歳の娘が学校で3人の男から告白されたらしい。
恥ずかしがって嫌だったと言っていたが、もうそんな話題も出る頃なのかと、面白くなった。
僕も、よく女の子から告白されていたことを思い出し、
「とうちゃんは相手を傷つけないように断る方法をいつも考えてたわ。断り方は100パターンくらい用意しとかな。」
とアドバイスをしておいた。
僕も娘もどちらかというと美形とは言いがたいのだが、なにかしら人をひき付ける要素があるのだろうか。
なんて事をほざいていたら妻が爆笑していた。
今娘が学校で時計について習っている。
うちの娘はめちゃくちゃ絵を描っくのは上手なのだが、数字に関わる事は苦手なようだ。
対照的に息子はめちゃくちゃ数字に強く2歳近く上の娘よりもよく理解している。その代わり絵は苦手。
同じ環境で育っても興味が異なればここまで頭の中が違うのかと思う。
で、僕もみかねて少し勉強を教えたりする。
まあ、勉強というのはできる事を繰り返しやらせて自信をつけさせる事が一番大事じゃないかと思う。
自信さえつけば教えなくても自分で勉強するようになるだろう。
できない事をいやいやながらやらせるよりもいいと思う。
で、時計を教えるのだが、子供はまだ時間という概念が頭に入っていない。
しかし、よく考えてみると時間というものはおかしなものである。
なぜ一日が24時間、一時間が60分と決められているのだろうか?
それは、365日24時間60分60秒なんて社会で他の人と話す時に伝わるように決められたルールなだけである。
例えば、日本とアメリカとヨーロッパで時間の単位が違っていたら時差などもあるし大変なことになっていたことだろう。
もしも、一日が12時間、一時間が120分だったとしたらもっとゆったりした生活をしているかもしれない。
一日のうちに一周しか時計が回らない。
朝3時におきて11時くらいに寝る。一時間が2時間分あるので大分アバウトな感じになるだろう。
もしも、一日が48時間、一時間が30分だったらかなり忙しい生活をしているかもしれない。
一日のうちに時計が4周もするわけだ。
「16時間も寝ちゃったよ」とか寝すぎな気がして、15時間、14時間、ついには10時間睡眠が標準睡眠時間になってしまうのではないだろうか。
なんていうのだろう。なんか人間てついついキリのいいところで考えたがると思うので、もし時間の刻み方が違っていたら世界の様子が全然異なっていたかもしれない。
僕はうそつき父ちゃんと呼ばれています。
僕には6歳の娘と5歳の息子がいます。
時々わざと子供達にウソをついてみるのです。
最初の頃はそうやって子供をからかっていると妻に怒られたものです。
かわいそうだからやめなさいと。
でも僕はそれが必要だからやっていると説明して、そうしているうちに妻も趣旨を理解したのか何も言わなくなった。
子供達もいつウソが出てくるか考えるようになった。
例えば僕は、一つのみかんを持ってこれは何個あるでしょう?と聞く。
すると子供達は1と答える。当然の答えである。
そこで僕はこれは2個あると答える。
子供達は2個じゃなくて1個であることを主張する。
そこで僕はみかんを二つに割ってほら二個じゃん
という。
子供は僕の事をうそつき呼ばわりする。
そこで今度はひと房だけ残して何個かと聞く。
今度は割りようがないので一つしかないと思って子供達は一個と言う。
僕は0個だといいながら食べてしまう。
そうすると娘は当分の間、数を聞いても答えてくれなくなる(笑)。
なぜこういったことをするかというと、物を考えるためである。
時々ウソを交えることで、本当のことかどうなのか考えないといけなくなる。
本当のことばかりだと思っていたら考えない頭になるだろう。
ついつい人は正解が一つであることに安定を求めてしまう。
その瞬間に人は頭を使わなくなるんだと思う。
そこにあるみかんが一つかどうか疑って見た瞬間に話が面白くなる。
一つのみかんが一つのみかんであったってつまらないと思うのはうそつき父ちゃんだからでしょうか。