客観的
思えばこの言葉にずいぶん振り回されたかもしれない。
僕は思いっきり理系人間なので、物事を客観的に見たり、科学的に見るということにこだわってきた。
そして、物事を客観的に見れると信じてきた。

カナダの木の写真
しかし、自分が客観的に物事を見れると思っているということは怪しいものである。
科学だってかならず主観の部分は入ってきているわけである。
その現象がなぜ面白いのか、なぜ研究する価値があるのかなんて考えていたら必ず主観的な嗜好などの部分に衝突する。
人が関わるもので完璧に客観的になれるわけがないのである。
今の僕は、物事を客観的に見れるはずがない、できるだけ客観的に見るように努力し続ける必要がある
という立場である。
何億、何兆通りも物事の見方がある中ですべてを吟味して客観的に考えるなんて不可能である。
不可能であると知っているほうが、可能であると偽りの客観的を信じるよりもいい気がする。
うーん、難しいです!・・・人は主観的に生きながら客観的に評価されやすいと言うのでしょうか。 自身のキヤパシテイを深めた分、生きやすくなるのでしょうけど、、、、、、、大学の先生と芝生の上で語らうような。私のような、訳のわからぬコメントに苦笑してください。自分に甘く人に厳しい。気質改善しなければ、、、いけないです。・・・しかし想定外、データに反する結果の日常ですから、客観的思考は大切ですね
エンドウ豆さんこんにちは。
人は楽をしたがるから、一度法則を見つけたらそれにしがみつきたくなるんですよね。
だけど、それをいつでも手ばなしながら次を見つけに行く事が大事かなと思うんです。
そうですね。客観とは、多くの他者の納得または同意できる主観とでも言うべきかもしれませんね。
ただ、自分の文化的アイデンティティーに無自覚であるがための、または、その優秀性を信じたいがための、押し付け的主観みたいなものは避けたいものです。
>joyさん
こんにちは
深いコメントありがとうございます。
難しすぎて頭がぐるぐる回っていますが、納得できるやり方を選択したいものですね。
押し付けも嫌ですし、押し付けられるのも避けたいものです。