僕はバスに乗って毎日仕事に通っている。
日によってはひどく運転のへたな運ちゃんがいる。
運転のうまいへたというのは、人によって基準が違うかもしれない。
僕の思うへたな運ちゃんは、
ブレーキや加速が急であったり、揺れがひどい運転手である。
こういう人はおそらく、速く運転する事が上手な運転の仕方だと思っているはず。
僕は、ひどく揺れるバスの中で本を読んでいると気持ち悪くなってくるので本を読むのを止める。
僕が運転手だったら、揺れができるだけ少なくなるように気をつけながら運転するのになあ。
ブレーキとアクセルをできるだけ使わないように運転すれば、使うガスの量も少なくなるので、経済的でエコ的だろうに。
僕は、同乗している客の気持ちを考えずに運転するドライバーにガサツさを感じる。
人が心地よくなることをみんなが心がけてすればいいのに。
そうすれば世界はもっと居心地がいいはず。
おそらく、運転手はあまり車酔いしないのだろう。
だからそういったガサツさにも気づかない。
僕は比較的車酔いしやすい体質なので、こういうことに気づく事ができているんだろう。
自分の気づいている事には、心がける事ができるが、気づいていないことに関しては心がける事ができない。
自分の見えないガサツさに恐怖を覚える瞬間である。
そんな事を心の奥で考えながら、ふとセックスについて考えてみた。
車だと揺れるというのは誰でも嫌がるからわかりやすいが、セックスは相手が求めているものが何かを知るのは難しいだろうな。
激しい、静かな、気持ちいい、まったりとした、濃厚な、あっさりとした、スポーツ感覚の、柔らかい、固い、大きい、くすぐったい、熱い、すばやい、長い、早い、綺麗な、香る、ぶつかりあう、さっぱりする、明るい、初めての、ドキドキする、こころ満たされる、キス中心の、やさしい、変態な、拘束された、我慢できない、興奮する、大事な、密着した、リズミカルな、おもしろい、
などなど相手が求めている、もしくは求めていなくても喜ぶかもしれなさそうな形容詞がたくさん出てくる。
僕は自分がしてもらいたい事やしたい事を相手にしているだけだったのかもしれない。
何一つ相手の気持ちがわかっていんじゃないのかと愕然とする。
降りたバス停からの道がいつもと違ってみえるのはなぜ?