高速道路1000円賛成

5月 8th, 2009 by MJさむらい No comments »

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高速道路が土日祝日1000円になって大分渋滞したようですね。僕は、定額給付金は反対ですが、この高速道路1000円というのは賛成です。道路があってもお金がかかるから使わないんじゃあ、作った意味がない。なのに今までは何千円もの料金を取って使わせないでいたってことですよね。

ただ、土日祝日に安くするというのは逆だったような気がする。平日に安くするべきだったんだよね。平日に暇な貧乏人が行楽に行き、平日働いている金持ちは土日祝日に高い高速料払わせれば渋滞もそんなに問題にならなかったかもしれない。

政治家って言うのは人気取るために動いているだけだから、あんまり頭使ってないんだよね。

しかし、今回の高速道路を1000円にして問題が浮き彫りになった。1000円になったから高速走ってみたら、渋滞で超低速道路になっていた。

落語の落ちに使えそうですね。

高速の料金を安くしたら道路があふれて渋滞になるということは、車の数が多すぎるか、道路が少なすぎるのどちらかなんですよ。駐車場で眠っている車達が一斉に動きだしたら糞詰まりになる。日本の車社会というのは機能していないということですね。一見、車って便利なようで日本ではもはや便利な乗り物じゃないのかもしれませんね。

大体ねカナダだと高速なんて無料ですよ。それでもモントリオールのような都会でさえそれほど長時間の渋滞は起こらない。こういう生活していたら、日本で車持つのはあほらしいです。日本だと車買っても走るところも限られていて駐車場代などの維持費もアホのようにかかる。車を維持するためにたくさん働かなくちゃいけないから乗る暇も無い。たまに乗ったら渋滞で自転車のほうが早かったりするんだからね。

鼻くそをほじった息子

5月 7th, 2009 by MJさむらい 3 comments »

僕には5歳の息子がいます。

鼻くそをほじったらしく、指の先には大きな鼻くそがついていました。

その鼻くそを見つめながら息子はぽつりといいました。

「これが赤かったら鼻血と呼ぼう。」

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国家の品格を読んだ

5月 6th, 2009 by MJさむらい 2 comments »

国家の品格 (新潮新書)を読んだ。

大雑把に言ってこの本は数学者が日本の情緒や武士道の精神が重要だということを書いている本だ。

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この本の3分の1は賛成できる部分もあるが、3分の2は賛成できないというか、説得力に欠けていて読む気がしない。あまりにも決め付けて論じるところが多すぎて、その決め付ける根拠がまったく説明されていないというなんともお粗末な理論が多い。

例えば、人はなぜ人を殺してはいけないかという問いに対して「駄目だから駄目」で終わらせています。駄目だから駄目というのは、時々尊敬できない先生が僕に押し付けてくる何も考えていない時の理屈です。僕は、人を殺してはいけない理由も人それぞれだし、人を殺しても良い理由も人それどれだと思います。駄目だから駄目と言うのは何も考えないでいいから楽でいいですね。僕はもう少し考えながら生きていきたいと思います。

その延長線上で情緒とか武士道も論じられていて、情緒とか武士道はよいからよいということに決め付けられてしまっています。人によって情緒も武士道もとらえ方が違うだろうと思うですが。それに外国人に情緒や武士道が通じないというのも決め付けられていて、何でそこまで思考をシャットダウンできるのだろうと不思議に思いました。

ただ、この本の中で言っている日本人としての誇りを持ち、独自の価値観を育てるべきだという主張は大いに賛成できることだと思いました。説得力は無いけど基本的に面白い考え方を書いている部分もあるなあと思います。

モンゴル

5月 5th, 2009 by MJさむらい 2 comments »

チンギスハーンの生き様を描いた映画モンゴル [DVD]をみた。

人種的には日本人と似ているところが多いといわれるモンゴル。

今の日本の横綱もモンゴル出身であるにもかかわらず、モンゴルの事については何も知らなかった。

遊牧民族、モンゴル相撲、そしてチンギスハーンくらいしか知らなかった。

そして興味もなかった。

この題名モンゴル [DVD]だけをみたらまったく興味も湧かないDVDだったが、たまたま図書館で借りる事ができたので借りてみた。

チンギスハーンの壮絶な生き様が描かれていて、その強い精神力に圧倒された。

モンゴルの人たちがどのような歴史の上で成り立ち、どのような生活をしているのか触れることができ、モンゴルに興味が湧いてきた。

5月 2nd, 2009 by MJさむらい 2 comments »
炎

炎というのを眺めていると飽きない。

昔は、老人がよくドラム缶のなかで焚き火をしながら集まっていたものだ。

今はあの老人達はどこに行ったんだろう。

炎をみているとどこまでが境目なのか、何色なのかわからなくなってくる。

実は人の視覚と言うのはそこにあるものを見ているわけでない。

そこにあるものを、光を通して脳に焼き付けてみているわけだから、脳みその中で作り上げた像を見ているわけだ。

もしかしたら、僕の見ている炎とあなたの見ている炎はまったく別のもののように写っているかもしれない。

インターネット検索最大手の米グーグルが進める書籍検索サービス

5月 2nd, 2009 by MJさむらい No comments »

インターネット検索最大手の米グーグルが進める書籍検索サービスについて、詩人の谷川俊太郎さん、作家の三木卓さんらが30日、東京都内で記者会見し、著作権侵害の恐れがあると危機感を訴えた。

谷川さんは「利用に応じてどれだけの著作権料が支払われるのかが不透明。グーグルはやり方が一方的で、グローバリズムのごうまんさを感じる」。三木さん は「ネットは公共のものというイメージがあるが、ネット上でどう作品を扱うか決めもしないのは納得がいかない。一種の文化独裁だ」と怒りをあらわにした。

ソース http://www.asahi.com/national/update/0430/TKY200904300285.html

著作権に関してこういう話題があるのだが、う~ん。

こういうことを書いたら怒られるかもしれないが、それを承知の上で書くと、この人たちはせこいし、時代遅れだね。

僕は著作権を主張して、メディアで取り上げられたものばかり、作品としての利益を得ることにすごく不満がある。

本来、CDやDVD、印刷物として出版しているものは所詮コピーだ。

本物のライブとは違う。そんなコピーでお金を儲けようなんて虫が良すぎる。

これはアメリカ独特のシステムで、効率よくお金を稼ぐアメリカンドリームの象徴だろう。

そのせいで本物の文化が育たなくなっているのがアメリカだ。

例えば、下手なCDが何万枚売れるよりも地方の小さな音楽バンドのコンサートにお金を払って人が集まるほうがよっぽど音楽文化の発展に貢献すると思う。

そうやって切磋琢磨して産まれてくるからオリジナルな、独特の音楽がたくさんうまれ、それぞれのよさがたくさんうまれるのだと思う。

CDやDVD、本などのコピーの量産で儲ける考え方はそういう多くの人たちの権利を迫害している。

アメリカは日本より100年ほど先を進んでいるので、そのあたりの弊害を自覚して、著作権ばかりを重視して、いろいろな文化がいろいろな人に伝わることを阻害していることに気づき始めている。

だから、著作権が保護されるのが50年というのは長すぎると考えている人が多い。

また、メディアから一方的に流される情報をつまらないという事に気づきはじめている人が多くなってきている。

現に、ユーチューブやネットのコンテンツなど自分で探して、自分の好みに合った楽しみ方を模索するように、社会は変わってきている。

グーグルのような媒体を使って誰でも情報をいろいろなところから得ることができ、いろいろな情報を楽しむことができるというのは当然の流れじゃないだろうか。

そもそも、著名な人たちは、著作権という儲けの手段の上にあぐらをかいてしまって、本当の情熱を失ってしまっている。

本来、作品を出す人たちは多くの人たちに喜んでもらうために作ったはずだ。

なのに、より多くの人たちに公開されることをお金の問題としてだけ捉えているのは、正直狭いなと思ってしまう。

ま、別にそれはそれで人によって考え方が違うのだからいいけど。

ブロガーなんて一銭も儲からないのに、いろいろな人に面白い文章を書いている人がいて、そういう人たちこそほんとうの文化人なのかもしれないなとおもう。

大阪女児活遺棄事件

4月 30th, 2009 by MJさむらい 1 comment »

2009年4月

大阪で9歳の女児が、虐待されベランダに放置され死亡したため奈良県内に遺棄されました。

女児は、実の母親と母親の再婚相手の男、その男の息子6歳と住んでいました。

女児が死亡した日の前日には、女児以外の家族は楽しく外食をしていたそうです。

女児はしつけの範囲内としてベランダによく放置されていました。

他の家族が楽しく外食をしていた夜から次の朝にかけて、女児は冷たくなって死んでいたようです。

虐待の兆候があったにも関わらず、学校が対応をしていなかったとして文科事務次官が非難をしているそうです。

この事件は本当に悲しい事件です。

ここ女の子の母親が鬼のように思えます、再婚相手の男が鬼のように思えます。

この親を非難して鬼のようだとののしることは簡単です。しかし、この事件の本質を想像すると、親を非難するだけではこういった事件は無くならないと思います。

実際に今日も、どこかで虐待されている子供たちがいると思います。

虐待されて死んでしまったから大きな問題になっていますが、虐待されながらいき続けている子供たちは今の日本に何千人、何万人いるでしょうか。

そういった子供たちが、心に傷を負って、さらに自分の子供達に同じ過ちを犯す。そういったことが連鎖しているのです。

このような行動を平気でできる親は精神的な病としか言いようがありませんね。

文科事務次官が学校を非難しているようですが、現実がまったく想像できていません。虐待を受けた形跡のあるような子供に対していちいち学校の先生が対応できると思っているのでしょうか?

物理的に無理だし、学校の先生にそこまで頼ると言うのはどういうことなんでしょう。もっと本気で考えるべきです。

僕は、貧乏な漁師町に育ったので、虐待を受けていた子供たちを何人も知っています。その中の一人は活きているのが苦しくなって自殺してしまいました。

一人は、義理の父親からナイフで腕を刺されて血だらけの手をタオルで押さえていました。病院にも行かずに治った手にはムカデのような大きな傷跡が残っていました。

彼らの心からは人を信ずると言う心は奪われていくでしょうね。

どうやったらこういった悲しい事件がなくなるのか、隠れた虐待を無くす事ができるのか。

今の日本は強者が弱者に対して牙を向けるだけの社会に成り果ててしまっているんでしょうか。

日本はもっと健全な社会に回復しないといけないと思います。

お尻の拭き方

4月 27th, 2009 by MJさむらい 1 comment »

いろいろ経験しているとお尻の拭き方もたくさんあることに気づく。

お尻の拭き方は誰にも教えてもらうことができないので自分のやり方でやってしまう。

与えられた道具でやるしかないわけである。

他人との接点のあまりない個人の文化だと思う。

僕が驚いたお尻の拭き方はティッシュペーパーをぐるぐるに包帯のように手に巻きつけて吹くというやり方。

めちゃめちゃティッシュもったいないやん。

僕みたいな貧乏人はたくさんティッシュを使うくらいなら少々手にうんこがついたほうがまし的な考えだからびっくり仰天。

ふと気づいたのだが、最近うちのトイレットペーパーの減りかたが半端じゃない。

気づけばうちの娘が手にぐるぐるティシュを巻きつけて同じことやっていた。

ぐぅおらー

なにしとんじゃ~!

トイレットペーパー無駄使いするぐらいなら手にうんこつけろと教え込んでおきました。

もっと仰天したのが中国人はロープでお尻を拭くらしいです。

しかも使いまわしらしいです。

中国人はすごく強靭な肛門様をお持ちですね。

個人の文化といえばセックスもそうですね。

ある芸能人が映画の撮影中にラブシーンがあって監督にどうやって良いか聞いたらいつものやり方でやってといわれたそうです。

いつものやり方ゆうてもなんでみんなの前で発表せなあかんのや

間違えていたらどうすんねん

と言ってました。

これは本当にうなずけますね。

人のセックスを見るのはなかなか難しいからそこには二人だけの文化が生まれます。

それが愛といえば愛なんでしょうね。

昔の人は秘め事なんて上手い表現の仕方をしましたね

想像力が足りないと乏しいセックスになってるかも知れないから、一生懸命秘め事をしてもらいたいですね。

でも考えてみると面白いですよね。

誰にも教えてもらっていなくても子供は作れる。

そういった教えてもらえなくても目的を達成できることが、人の本当に求めてるものかもしれないですね。

うそつき父ちゃん

4月 27th, 2009 by MJさむらい No comments »

僕はうそつき父ちゃんと呼ばれています。

僕には6歳の娘と5歳の息子がいます。

時々わざと子供達にウソをついてみるのです。

最初の頃はそうやって子供をからかっていると妻に怒られたものです。

かわいそうだからやめなさいと。

でも僕はそれが必要だからやっていると説明して、そうしているうちに妻も趣旨を理解したのか何も言わなくなった。

子供達もいつウソが出てくるか考えるようになった。

例えば僕は、一つのみかんを持ってこれは何個あるでしょう?と聞く。

すると子供達は1と答える。当然の答えである。

そこで僕はこれは2個あると答える。

子供達は2個じゃなくて1個であることを主張する。

そこで僕はみかんを二つに割ってほら二個じゃん

という。

子供は僕の事をうそつき呼ばわりする。

そこで今度はひと房だけ残して何個かと聞く。

今度は割りようがないので一つしかないと思って子供達は一個と言う。

僕は0個だといいながら食べてしまう。

そうすると娘は当分の間、数を聞いても答えてくれなくなる(笑)。

なぜこういったことをするかというと、物を考えるためである。

時々ウソを交えることで、本当のことかどうなのか考えないといけなくなる。

本当のことばかりだと思っていたら考えない頭になるだろう。

ついつい人は正解が一つであることに安定を求めてしまう。

その瞬間に人は頭を使わなくなるんだと思う。

そこにあるみかんが一つかどうか疑って見た瞬間に話が面白くなる。

一つのみかんが一つのみかんであったってつまらないと思うのはうそつき父ちゃんだからでしょうか。

人は生まれながらにして平等か

4月 26th, 2009 by MJさむらい 2 comments »

平等という言葉がある。

どういう意味だろう?

等しく平らに分けるという意味だろうか?

そんなことは不可能じゃないだろうかと思う。

例えば一つのケーキを二人に分ける。

半分に切って分けた。

これって全然平等じゃない。

例えば一人が横綱曙で一人が池のめだかだったら、池のめだかのほうがもらいすぎのような気がする。

じゃあ、体重で分けるのか、身長で分けるのか?

曙 身長203cm、体重233kg

池のめだか 身長149cm、体重51kg

え?どうやったら平等なの。

まあ、これは極端な例だが、小学校1年生と6年生が分ける時には気をつけないといけない。僕は長男だから言うが、2等分するやりかたは弟が時々得をしている。

え?

細かいことを言うな?

じゃあ、もっと大きなことを考えてみます。

1億円財産のある家に産まれた人と借金1000万円ある家に産まれた人は平等でしょうか?

病気を持って産まれた人と健康に産まれた人が平等でしょうか?

男と女が平等でしょうか?

一生を左右するこんな大きなことが違う以上、平等という言葉を軽々しく信じてしまったり使ってはいけないんじゃないかなと思います。

こんなにも違うものをどうやって平等にするんでしょう?

むしろ平等じゃないことを受け入れた上で生きたほうがいいんじゃないかなと思います。

単純に平等だと主張していたら計算間違いが起きているんじゃないでしょうか?

平等じゃないからこそ、有利な立場の人がしないといけない何かがあるはずです。