嫌な予感

8月 27th, 2009 by matsujun1 No comments »

いつものようにパソコンに向かって仕事をしていると、右のほうからひたひたという音が聞こえてきた。

子供が起きてきたのかなと思って目をやると、誰もいない。

子供部屋を確かめてみると二人ともぐっすりと眠っている。

気のせいかと思い、しばらくたってベッドで寝転がっているとまたひたひたという足音が聞こえる。

その後、自分の見えない誰もいないところで「ザザッ」と何か物が落ちる音がする。

またか。

これで2度目である。

以前にも似たような物音の後に何かが落ちる音がした。

それよりも前には、子供が暗闇を指して

「誰かがいる」と急に言い出した。

「誰かがあそこにいるから早く寝る。」

と言っていつもぐずぐず言ってなかなか寝ない子がすぐにベッドに行って寝た事がある。

そこには何もいないのだが背筋がゾゾ~とした。

そして別の日には風呂に入っていた息子が、茶色のシャワーが出てきたというではないか。

この家には何かいる。

それとは関係ないのかも知れないが、僕の親しい人が日本で最近亡くなったんじゃないかという予感がする。

まあ、気のせいだと思うが、そういう予感がするのはちょっと嫌なものである。

おたまじゃくし

7月 30th, 2009 by matsujun1 No comments »

用事があり車で出かけた帰り道、妻とよちよち歩きの娘を連れて見知らぬ町の高速のインターチェンジで降りて釣りをした。知らない町の知らない海で何が釣れるか分からないまま釣り糸を垂らすというのはなんだか楽しいものである。僕はそうやって時々予定外の行動をしてしまう。が、家族もよくそれに付き合ってくれるものだ。本当にいい妻をもらったものである。

適当に車を走らせると小さな港に着いた。小さな川から水が流れ込んでいて、海水が茶色く濁っていた。午前中に降った雨で川が増水しているのだろう。大きなスズキやヒラメの類が釣れないかなとワクワクしながらえさをたらした。しばらくして釣れたのは小さなハゼだった。まあ何も釣れないよりはましかと思い釣りを続けていた。すると、胴体の無いハゼが釣れた。ハゼの頭はまだ動いていて、明らかに他の大きな魚に食べられてしまった状態だった。スズキかヒラメの類がこの下にいると確信し、何とか釣りあげてやろうとそれまで釣ったハゼをえさにして釣りをはじめた。

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黒人の女性

7月 18th, 2009 by matsujun1 1 comment »

今朝は曇り空だった。今すぐにでも雨が降ってきそうな天気。

そんな中、アパートの階段を下りていくと、エレベーターから黒人の女性が降りてきた。おしゃれな洋服と、すらりとしたスタイルは存在感がある。はっきりとした顔立ちの彼女は非常に魅力的な女性だった。僕が独身だったらこういう女性と知り合う機会もあったかもしれないなあと微かに思いが巡るが、おしゃれのかけらもない僕は、こんな格好ではそんな事はありえないかと思いそんな妄想を打ち消した。

僕達は同じバス停でバスを待ち、同じバスに乗った。

僕はいつものようにバスの中で本を読みふけり、黒人の女性は別のどこかの座席に座ったようだった。

目的のバス停についたので、座席から立ち上がろうと、通路に足を出した時に、誰かの持った傘の先が僕の足の甲にパチンと当たった。こんな珍しい事もあるものなんだなと思って、傘の持ち主を見ると先ほどの黒人女性だった。

彼女は「パードン」といって素敵な笑顔をした。

僕も無言で笑顔を返した。

バスから降りると空は晴れていて、彼女の持つ傘は必要なくなっていた。

僕は必要なくなった傘の先が僕の足に触れて音を立てたことがとても運命的なような気がして、ただそれだけの事でその女性に好感が持てたような気がした。でも、本当は彼女の笑顔が素敵なことや、おしゃれな服装をしている事、すらりとした存在感のあるスタイルとかそんなものをひっくるめて好感が持てているんだろうなあと感じた。そして、彼女は僕には何の好感も抱かないだろうということを感じてがっかりした気分になった。

もう少しおしゃれもしなきゃな。おしゃれをするのも楽しいかもしれないなと思いながら研究室への道を歩き始めた。

ファーストキス

7月 17th, 2009 by matsujun1 4 comments »

高校2年生の梅雨の明けた夏の夕方、僕達はきつい坂道を自転車を押しながらゆっくり登っていた。

痩せた彼女のセーラー服姿を少し後ろから眺めながら、たわいのない話を続けた。

僕達は、一緒に過ごせる時間が少しでも長くなるようにできるだけゆっくりと歩いていた。

そんな僕達の気持ちとは関係なく、時間は過ぎ、日が暮れ始めた。

いつも別れる交差点にたどり着いた時、僕達は後ろを振り返って夕日を眺めた。

とても綺麗な夕日だったので、僕は彼女にキスをしたいと思った。

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トップレスビーチ

7月 16th, 2009 by matsujun1 2 comments »

今日、バスに乗っていたら隣に座っていたおじさんが携帯電話(iphoneというやつかな)を操作しながらいきなり口笛を「フュー」と吹いた

周りにいた僕たちは一体何が起こったのかわからなかったのだが、驚いたみんなはいっせいにそのおじさんに目線を向けた。

おじさんは、少ししてから手を動かしながらごまかしていたが、何かを読んでいて興奮して思わず口笛が漏れてしまったという感じだったようだ。

今日はその時になぜか思い出したトップレスビーチのお話を書いておこうと思う。

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すべてを否定しない生き方

7月 14th, 2009 by matsujun1 2 comments »

僕は、何かを否定をするという生き方がとてももったいないということに最近ようやく気付いた。

そういったことをとても分かりやすく書いてあるのが、すべてを否定しない生き方 (男のVシリーズ)という本だ。音楽家の東儀秀樹さんが書かれている。東儀秀樹さんはたまたま仲良くなった近所のお母さんのご親戚だそうで、妻がこの本を借りてきた。僕は中身はほとんど読んでいないのだが、タイトルを読んだだけで何が書かれているか分かった。多分本に書いている字づらだけを追っても分からない人には分からないんじゃないかと思う。僕は気になるところだけピックアップして読み、それが自分の最近考えていることとかなり一致していたので、後は読む必要もないだろうと思い読まなかった。

僕は、今の歳になるまで何かを否定するという生き方がとても無駄なことであるということに気付かずにすごしてきてしまった。とてももったいないことだと思っている。何かを否定する事で得られるものは何もないのである。

否定する事は反感を買う。

否定する事で自分が失敗できなくなる。

否定する事で、自分がパーフェクトでなければいけない。

そういった混乱の中に自分を追い込んでしまうわけである。

誰かを否定する時間があれば、誰かのいいところを見つけたり、もっといいアイデアを提案したり、自分の実力を磨いている方がよっぽどいいわけである。

他人を否定する事で自身も身動きができなくなってしまうという現実に気付くのはとても大事だと感じている。

Total O 理論

7月 11th, 2009 by matsujun1 2 comments »

トータルO理論をご存知でしょうか?

これはたった今僕が考えた理論なので誰も知るはずがありません。

昨日、研究室の研究室のボスの妻でポスドクのアメリカ人と激しい議論をしました。彼女は生き物の遺伝子発現を調節するプロモーターの研究(マウス)をしているのですが、哺乳類とホヤとの遺伝子調節の制御レベルは一緒だというのです。僕は、ホヤのほうが遺伝子調節の仕方はあいまいで、あまり制御されていないという考えを持っていますから、意見が少し衝突しました。

彼女の考えでは、生き物はシンプルに見えても調節レベルが劣っているとか、劣っていないとか考えるのはおかしいといいます。哺乳類は哺乳類でパーフェクトと思うかもしれないが、ホヤはホヤという生き物として形作るためにパーフェクトな遺伝子発現がされているはずだから、プロモーター制御も同じだけコントロールされていると考えているそうです。進化の考え方でそういう理屈があるのかも知れませんが、僕は彼女の考え方には少し思考が停止してしまっている部分があると感じました。

僕の考えでは、ホヤのプロモーターによる遺伝子調節は哺乳類のそれよりもあいまいである。これは、いろいろな例を見てきて事実だと思うし、器官の複雑さや発現している遺伝子の数がそもそも違うし、ゲノムのサイズも違う。そして、プロモーターが複雑でない分細胞分裂や遺伝子の偏りなど別の部分で補っているからホヤの形としてはいつも同じ発生ができるようにコントロールされているんじゃないかと漠然と考えていました。

議論している時はお互いに相手の言っていることが理解できずに話は平行線でした。

だけれども、彼女の言いたいことを良く考えていると、「トータルO理論」が出来上がりました。

たぶん、世の中のいろいろなことはトータルとして一緒なんだと思います。人間が何をしようとしまいとトータルは一緒。一見、すごく何かが変わっているように見えますが、トータルとして同じ。只、チョイスが違っているだけなんだという理論です。

例えば人間は車を作りあげました。そのことによって何が起こったのかと、車を作らなくて何が起こったのかを比べると結局トータル一緒という理論です。

車を作ると努力・勉強・失敗など数々の努力が必要 しかし、達成感が得られる。車を利用して便利な生活ができる。資源が必要になってくる。(人間にとっては)環境破壊も同時に起こる。

車を作らないと、努力・勉強・失敗などが必要ないので楽。しかし、達成感もないし、便利な生活もできない。資源は必要ない。環境破壊も起こらない。

こういう、一見車を作っているほうがより何かをしている気がするが、それは人間の立場からみた達成感とか便利な生活があるからそう感じるだけで、実際には失っているものもある。

ただ、勘違いしてはいけないのは、何もやらないほうが良いといっているのではなく、チョイスの問題であるということである。人は便利なものを作ったり利用したり、アイデアを実現したりする満足感というのを喜ぶんだと思う。たとえ、トータルO(オー)であっても人はやりたいようにやっていくだろうと思います。

生き物に話を戻すと、より複雑な生き物はより複雑な優れた器官を持っていろいろなことを達成している。しかし、そのことでより能力は特別化してしまっているので、柔軟さは失われてしまっているわけだ。複雑でない生き物は複雑になっていない分、柔軟さが維持されている。複雑になろうがなるまいが、トータルとしての何かO(オー)は一緒なんだ。

例えば、猫は脳が人間ほど発達していないので、人間社会で働くことはできないし、気ままに生きることができる。その代わり、いつも死という危険や空腹という危険の元にさらされている。人は脳が発達しているために、複雑な社会を形成して、そこで働かなくてはいけない。その代わりに医療や食料に関しては安心できるメリットがある。

このようにトータルO理論で考えると、何か努力したりしても結局はトータル何も変わらないのかとがっかりしてしまう人もいるかも知れないが、そこに気づかずに漠然と生きているよりも、トータル変わりないかもしれないが、より自分のやりたい方向に自分がチョイスして生きることの大切さを具体的に考えることで、よりチョイスの仕方に磨きがかかるんじゃないかと思う。

楽をして生きれば満足感はない。努力をして生きれば大変だが満足感がある。

どちらもトータル一緒なのだが、どちらをチョイスするかは好みの問題かもしれない。

マイマイカブリ

7月 11th, 2009 by matsujun1 1 comment »

僕は子供の頃はとにかく虫や生き物が好きで、一日中公園や草むらに行って虫を捕まえて遊んでいた。そして、両親が買ってくれた「学習図鑑」と言うものを、何度も何度も眺めたり読んだりしてた。(参考昆虫 (ニューワイド学研の図鑑)

なかでも、特に「生き物」「さかな」「昆虫」「飼育」「動物」などがお気に入りだった。とにかくこいつらは表紙がぼろぼろになるくらいまで読みまくった。他の男の子が好きな「のりもの」とか「車」とかそういうのはまったく読まなかった。僕は絵を眺めるだけではつまらなかったので、書いている事を解読していたらいつの間にか文字も読めるようになっていた。僕の好きな単語は「サメ」とか「かぶとむし」とか「カニ」とかだった。

中でも衝撃的だったのが「マイマイカブリ」だった。マイマイカブリがカタツムリの殻の中に首をつっこんで肉にかぶりついている大きな挿絵があった。しかも、その図鑑によると、マイマイカブリはカタツムリの肉を溶かす唾液をはいて食べるそうなのだ。

僕は、カタツムリは自分の身を守ろうと硬い殻を作って持ち運んでいる。なのに今度はうまくカタツムリの殻の中に首を突っ込んで食べる生き物がいる。そういったことにとても衝撃を受けた。

そして、そういった虫を実際に見つけるのが僕の仕事だった。あの図鑑の世界が実際に世の中に存在する事なのかとても興味があった。そして、僕はある日、マイマイカブリを見つけた。道路の真ん中で車にひかれていたのだ。そこで注意深く辺りをみまわして、乾いた側溝の中にたくさんマイマイカブリがいる事を発見した。夢中になってマイマイカブリを捕まえた。

僕は実物に出会ったことで図鑑を眺めていたときよりも多くのことを学んだ。マイマイカブリは思ったより動きが早くへんてこな歩き方をする。これだけ早く動くとなると、カタツムリのような動きの遅い生き物はいちころにやられるだろうなあ。もしも自分がカタツムリだったらとてつもない怖い生き物だとか想像した。

しかし、マイマイカブリはなんとも気持ち悪い。実物を見て満足した僕は、好きだった恋人にある日突然幻滅したような感じでマイマイカブリに興味はなくなった。

>>マイマイカブリの写真などはこちらが詳しいです。

木を登る道具

7月 1st, 2009 by matsujun1 7 comments »

僕がまだ6歳くらいだった頃、望みが丘団地と言うところに住んでいた。

どういったつながりで知り合ったのか忘れたが、その近所に同い年の友達が住んでいた。

今考えると、その子は庭付きの一戸建ての家に住んでいたので、おそらく僕よりも裕福な家庭の子であったと思う。

狐っぽい色黒の顔は思い出せるが名前は出てこない。

そんな彼が家の庭でかなづちを使って何かを作っていた。

何を作っているのか尋ねてみると、木を登る道具だと言う。

2枚の板を釘で打ち付けてハサミのようなものを作りそれを使って木を登るのだという。

すごいものを作るんだなあと感心した僕はしゃがみこんで作っている様をずーっと眺めていた。

できあがったら、使わせてもらおうなんて甘い期待を抱きながらみていた。

しかし、木を登る道具は一向に出来上がらない。子供の腕の力は非力なので釘が全然板に入っていかないのである。

そうこうしているうちにその狐顔の友達は塾に行かなきゃ行けないと言って立ち去った。

そして、僕が彼の代わりにその釘を打ち付けておく事になった。

最初はなんだかトントンする音が楽しくて、作業をしている雰囲気を喜んでいた。

しかし、なかなか釘が入っていかない状況にあっという間に飽きてしまった。

作業はだんだん雑になり、釘やら板やらどこもかしこも殴りつけていた。

日が暮れてきて辺りは暗くなってきた。

帰らないといけない時間である。

ぼくはふと、もっと高いところからたたけばもっと力強く打てるのじゃないかと思い、立ち上がって思いっきりかなづちを振り上げてたたきつけた。

かなづちはバチーンと言う音がして板に当たった。

僕はもう一度振りかぶりよく狙いを定めて釘を打ち付けた。

今度はガチッと言う音がして釘が半分くらい入った。

同じようにしてもう一度釘を叩いた。

すると今度はあっさりと釘が全部板のなかに入っていった。

何だ最初からこうやっておけばよかったなどと思いながら、出来上がった木を登る道具を見てみた。

が、どうにもこうにも木を登る事に使うことはできそうにも無かった。

僕はそのガラクタとかなづちを庭に残して急いで家に帰った。

そして、その狐顔の友達とはそれからはあまり遊ばなくなった。

正確な時間の測り方

6月 20th, 2009 by matsujun1 6 comments »

子供に時間のことを教えていたら、次々に時間に対する疑問が湧いてきた。

例えば重さや長さなどはそれぞれ違う測り方が存在する。

それは、国王の親指の長さだったり、適当に基準を決めれるから可能だ。

だから文化によってさまざまな測り方ができるのでいろんな単位が存在する。

しかし、時間の単位はおそらく時計が発明されてから世界に広がったであろうから、世界共通の測り方をしているのだろう。

じゃあ、その時計はどうやって正確に時間を測定して、それをみんなが共有しているか。

基準になるはずの時計が正確に時間を刻まなかったら、みんなの時計はちょっとづつズレていってしまう。

地球の自転だって4年に一回閏年があるくらいだからそんなに正確に回っているはずが無いだろう。

どうやって基準を決めているんだろうか?

イギリスかどっかの偉い人が適当に秒針をいじって世界の標準時刻を決めているかもしれんなあ。

そこでちょっと調べてみた。

まず、みんなが持っているのはクォーツ時計というのがあるそうだ。水晶が発する周期的な信号で時刻を刻むらしい。月に30秒ほどズレが生じるので適度に修正する必要がある。

次に、原子時計というのがあって、こちらは精度の低いものでも3000年に一秒くらいしか狂わないそうだ。

原子時計を使って国際原子時(TAI)という正確な時間が決められているらしいのだが、これが地球の自転にわずかな不規則性があるので自転とのズレを生じるそうだ。

だから、正午に太陽が頭のてっぺんに来る時間と国際原子時とは差ができるので地球の自転にあわせた協定世界時(UTC)というのが作られているそうである。現在TAIとUTCの時間差は30秒ほどあるそうだ。

やっぱどっかのおっさんが時間を自転にあわせて微妙に調整していたんだなあ。

この自転の微妙なズレがあるというのは非常に面白い現象だなあと思う。

この微妙なズレがあるからこの世界が生じているのではないかと感じるのは気のせいだろうか。