息子とデート

9月 1st, 2009 by matsujun1 No comments »

息子は母ちゃんっ子で僕とは微妙な関係。

今までは娘や妻を介して僕と接する機会が圧倒的に多かった。

ま、男同士の親子というのはこんな感じになるのかもしれない。

心の中では息子からライバル心というかそういうのを感じるときがあり、とても頼もしいなあと思っていたりする。

その息子と午前中二人で過ごす事になった。

娘の学校が始まり、妻も午前中の英語の学校が始まった。

5歳の息子の幼稚園だけは明日から始まるので、午前中は彼の面倒を見なければならなかった。

実は、知り合いのお母さんに預ける事になっていたのだが、前日の夜になって話していると不安な感じだったので、それなら父ちゃんと一緒に過ごそうということになった。

僕はちょうどいいので、午前中は実験をせずに、事務手続きや銀行での払い込みなどの雑用に息子を付き合わせることにした。

待ち時間もほとんどなくあまりにもすんなりと雑用が終わったので僕達は時間をもてあました。

そこで、時計が読めるようになった娘には買ってあげていたが、息子にはまだ買っていない腕時計を買いに行く事にした。

息子は娘よりも2学年も下なのだが、数字に強く早くも時計を読めるようになっている。

SWATCHというメーカーの時計屋さんがあったので眺めているとちょうど子供用の時計があったので、そこで決める事にした。

正直、ちょっと考えていた予算よりもだいぶ高かったのだが、こういうものはお金よりも気持ちの問題だと思いきって購入を決めた。

息子は喜んでいるようであったが、いつもと違う雰囲気に戸惑っているようでもあった。

次に、昼食にハンバーガーを食べに連れて行き、食べていると彼のお気に入りの青いバッグが無いことに気付く。

おそらく、銀行の椅子の上に忘れてきたのである。

急いで昼食を済ませ、銀行に行くが椅子の上にバッグがない。

銀行の人はみんな忙しそうにしていて話しかけれる感じではなかったのだが、銀行の中をうろちょろして銀行員の足元を見て回ったら、息子の青いバッグがあった。

行員に声をかけるとすぐさま渡してくれた。

時計を買って、バッグを無くしたのでは悲しいところだったが、見つかったのですごくほっとした。

それから母親に引き渡して午前中のデートは終わったのだが、こんなに長い間息子と手をつないで同じ目的の為に歩き回ったことは今までなかったので、とてもいい思い出になった。

2009年衆議院選挙

8月 31st, 2009 by matsujun1 No comments »

今回の選挙は民主党の圧勝に終わりましたね。

多くの国民が望んだ答えがでたのではないでしょうか。

4年前、小泉さんで自民党が圧勝したときは、自民党内でいくら改革を掲げてもうまくいかないだろうと思っていました。

政策も本来政府がしなければいけないことをすべて投げ出しているように思えて、日本はとんでもないことになるかもしれないと思っていました。

前回の選挙には、改革には痛みが必要だと叫んでいたが、痛みがひどすぎたのでしょう。

国民がこぞって自民党は駄目だという今回の衆議院の結果になりました。

よっぽど国民に不満が積もっていたのであろうし、僕も含めてまじめに働いても希望が持てない生活をしている人が相当いるんじゃないかという事が感じられます。

それは失業率と有効求人倍率が過去最低という状況にも現れています。

派遣やアルバイトなど安い給料で働くことを余儀なくされている若者はまともな家庭さえ築けない。

多くの人が不満を抱えて生活しているのが浮き彫りになりましたね。

最近は劇場型選挙といわれてマスコミから揶揄されていますが、政治家が政策をわかりやすく述べることによって選挙への感心が高まってきているのではないかと思います。今の選挙制度が始まってから過去最高の投票率だったことが良くあらわしているとおもいます。

今の選挙は、政治家が国民に政策をわかりやすく伝えることは当然で、何をやるかはっきり示した上で選挙に臨むという風になってきているのでしょうね。

今や政策を国民に伝えれない政治家は論外です。

さて、圧勝した民主党ですが、マニュフェストなどで公約したことを本当に追行できるのかがこれからの課題になってきます。しっかりとやってもらわないと政治への不信感がさらに募る事になります。

民主党のマニュフェストはまだまだばら撒き的な要素は強いですが、少なくとも国民の側に目が向いていると思います。

今後、ますます自給率の問題、雇用の問題、少子化の問題、若者や地方の活性化の問題、自衛隊の問題などもっといろいろなことが争点となってよりよい方向に向かって行って欲しいと思います。

個人的には、日本が戦後平和な国を目指して立ち上がってきたわけですから、どこの国よりも平和でみんなが笑顔で暮らしていける国を目指していくべきだと思います。

今回の選挙で日本の国民はみんなちゃんと考えて投票しているんだなあと思いました。

湾岸戦争について調べてみた

8月 27th, 2009 by matsujun1 No comments »

最近湾岸戦争を題材にしたアメリカの映画をみました。

たいした戦闘シーンはないのですが、戦争の精神的な苦悩を感じる映画でした。

そういえば、湾岸戦争って、大学生になったばかりの年に起きてテレビニュースでいろいろな映像をみたなあと湾岸戦争についてもう一度調べてみました。

湾岸戦争ウィキペディア

これを読むと、当時ニュースを見ているだけではよくわかっていなかった事がまとめられていて、大変面白かった。

  • イラン・イラク戦争で多大な借金を抱えて軍事力だけが強くなったイラクの経済的に困窮して、クウェートに攻め込み孤立していくさま。
  • アメリカが先頭にたち多国籍軍でイラクを叩く。そのときのアメリカの費やした費用610億ドルのうちアメリカは70億だけ負担し、日本【90億】やドイツ【70億】などがかなりの額を負担している事。
  • この戦争で石油の値段が高騰し、日本のバブルがはじけ、他の産油国ソ連、アメリカ、イギリスなどは得をしている事。(日本の国民は生活を石油に頼っている限り働いても生活は豊かにならないんじゃないかと感じた。)
  • アメリカの兵器がこの戦争後に売れるようになった事。
  • イラクは4日少しであっという間に降参し、その後に温存した軍事力でさらなる戦争を引き起こしたこと。
  • アメリカは自国の死者数を公表するが、相手国の死者数を絶対に公表しないように情報が完璧に統制されるようになったこと。

などなど1時間くらいウィキペディアを読んだだけで興味深い内容が盛りだくさんだった。

この戦争はメディアではじめてリアルタイムで放送された戦争として話題になったが、これと同じように戦争をメディアが生で伝えるというシーンが10年以上前に作られたガンダムというアニメにあったんだよな。子供の頃見てテレビで戦争が放送されたらどうなるんだろうと衝撃を受けたが、まさにそれと同じ事が起ったわけである。

日本は第二次世界戦後、平和をめざす国家として人々は夢を抱いたわけだが、この戦争において平和に関して何一つ貢献していない気がするな。この辺りから日本の平和に対する意識は大きく薄れていって、アメリカに追随するようになっていったのかもしれない。

平和的な解決はできなかったものだろうか。

もし、アメリカが湾岸戦争で使った600億ドルをイラクに寄付していたらどうなっていたのだろうと考えてしまう。

嫌な予感

8月 27th, 2009 by matsujun1 No comments »

いつものようにパソコンに向かって仕事をしていると、右のほうからひたひたという音が聞こえてきた。

子供が起きてきたのかなと思って目をやると、誰もいない。

子供部屋を確かめてみると二人ともぐっすりと眠っている。

気のせいかと思い、しばらくたってベッドで寝転がっているとまたひたひたという足音が聞こえる。

その後、自分の見えない誰もいないところで「ザザッ」と何か物が落ちる音がする。

またか。

これで2度目である。

以前にも似たような物音の後に何かが落ちる音がした。

それよりも前には、子供が暗闇を指して

「誰かがいる」と急に言い出した。

「誰かがあそこにいるから早く寝る。」

と言っていつもぐずぐず言ってなかなか寝ない子がすぐにベッドに行って寝た事がある。

そこには何もいないのだが背筋がゾゾ~とした。

そして別の日には風呂に入っていた息子が、茶色のシャワーが出てきたというではないか。

この家には何かいる。

それとは関係ないのかも知れないが、僕の親しい人が日本で最近亡くなったんじゃないかという予感がする。

まあ、気のせいだと思うが、そういう予感がするのはちょっと嫌なものである。

おたまじゃくし

7月 30th, 2009 by matsujun1 No comments »

用事があり車で出かけた帰り道、妻とよちよち歩きの娘を連れて見知らぬ町の高速のインターチェンジで降りて釣りをした。知らない町の知らない海で何が釣れるか分からないまま釣り糸を垂らすというのはなんだか楽しいものである。僕はそうやって時々予定外の行動をしてしまう。が、家族もよくそれに付き合ってくれるものだ。本当にいい妻をもらったものである。

適当に車を走らせると小さな港に着いた。小さな川から水が流れ込んでいて、海水が茶色く濁っていた。午前中に降った雨で川が増水しているのだろう。大きなスズキやヒラメの類が釣れないかなとワクワクしながらえさをたらした。しばらくして釣れたのは小さなハゼだった。まあ何も釣れないよりはましかと思い釣りを続けていた。すると、胴体の無いハゼが釣れた。ハゼの頭はまだ動いていて、明らかに他の大きな魚に食べられてしまった状態だった。スズキかヒラメの類がこの下にいると確信し、何とか釣りあげてやろうとそれまで釣ったハゼをえさにして釣りをはじめた。

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黒人の女性

7月 18th, 2009 by matsujun1 1 comment »

今朝は曇り空だった。今すぐにでも雨が降ってきそうな天気。

そんな中、アパートの階段を下りていくと、エレベーターから黒人の女性が降りてきた。おしゃれな洋服と、すらりとしたスタイルは存在感がある。はっきりとした顔立ちの彼女は非常に魅力的な女性だった。僕が独身だったらこういう女性と知り合う機会もあったかもしれないなあと微かに思いが巡るが、おしゃれのかけらもない僕は、こんな格好ではそんな事はありえないかと思いそんな妄想を打ち消した。

僕達は同じバス停でバスを待ち、同じバスに乗った。

僕はいつものようにバスの中で本を読みふけり、黒人の女性は別のどこかの座席に座ったようだった。

目的のバス停についたので、座席から立ち上がろうと、通路に足を出した時に、誰かの持った傘の先が僕の足の甲にパチンと当たった。こんな珍しい事もあるものなんだなと思って、傘の持ち主を見ると先ほどの黒人女性だった。

彼女は「パードン」といって素敵な笑顔をした。

僕も無言で笑顔を返した。

バスから降りると空は晴れていて、彼女の持つ傘は必要なくなっていた。

僕は必要なくなった傘の先が僕の足に触れて音を立てたことがとても運命的なような気がして、ただそれだけの事でその女性に好感が持てたような気がした。でも、本当は彼女の笑顔が素敵なことや、おしゃれな服装をしている事、すらりとした存在感のあるスタイルとかそんなものをひっくるめて好感が持てているんだろうなあと感じた。そして、彼女は僕には何の好感も抱かないだろうということを感じてがっかりした気分になった。

もう少しおしゃれもしなきゃな。おしゃれをするのも楽しいかもしれないなと思いながら研究室への道を歩き始めた。

ファーストキス

7月 17th, 2009 by matsujun1 4 comments »

高校2年生の梅雨の明けた夏の夕方、僕達はきつい坂道を自転車を押しながらゆっくり登っていた。

痩せた彼女のセーラー服姿を少し後ろから眺めながら、たわいのない話を続けた。

僕達は、一緒に過ごせる時間が少しでも長くなるようにできるだけゆっくりと歩いていた。

そんな僕達の気持ちとは関係なく、時間は過ぎ、日が暮れ始めた。

いつも別れる交差点にたどり着いた時、僕達は後ろを振り返って夕日を眺めた。

とても綺麗な夕日だったので、僕は彼女にキスをしたいと思った。

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トップレスビーチ

7月 16th, 2009 by matsujun1 2 comments »

今日、バスに乗っていたら隣に座っていたおじさんが携帯電話(iphoneというやつかな)を操作しながらいきなり口笛を「フュー」と吹いた

周りにいた僕たちは一体何が起こったのかわからなかったのだが、驚いたみんなはいっせいにそのおじさんに目線を向けた。

おじさんは、少ししてから手を動かしながらごまかしていたが、何かを読んでいて興奮して思わず口笛が漏れてしまったという感じだったようだ。

今日はその時になぜか思い出したトップレスビーチのお話を書いておこうと思う。

PDR_0068

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すべてを否定しない生き方

7月 14th, 2009 by matsujun1 2 comments »

僕は、何かを否定をするという生き方がとてももったいないということに最近ようやく気付いた。

そういったことをとても分かりやすく書いてあるのが、すべてを否定しない生き方 (男のVシリーズ)という本だ。音楽家の東儀秀樹さんが書かれている。東儀秀樹さんはたまたま仲良くなった近所のお母さんのご親戚だそうで、妻がこの本を借りてきた。僕は中身はほとんど読んでいないのだが、タイトルを読んだだけで何が書かれているか分かった。多分本に書いている字づらだけを追っても分からない人には分からないんじゃないかと思う。僕は気になるところだけピックアップして読み、それが自分の最近考えていることとかなり一致していたので、後は読む必要もないだろうと思い読まなかった。

僕は、今の歳になるまで何かを否定するという生き方がとても無駄なことであるということに気付かずにすごしてきてしまった。とてももったいないことだと思っている。何かを否定する事で得られるものは何もないのである。

否定する事は反感を買う。

否定する事で自分が失敗できなくなる。

否定する事で、自分がパーフェクトでなければいけない。

そういった混乱の中に自分を追い込んでしまうわけである。

誰かを否定する時間があれば、誰かのいいところを見つけたり、もっといいアイデアを提案したり、自分の実力を磨いている方がよっぽどいいわけである。

他人を否定する事で自身も身動きができなくなってしまうという現実に気付くのはとても大事だと感じている。

Total O 理論

7月 11th, 2009 by matsujun1 2 comments »

トータルO理論をご存知でしょうか?

これはたった今僕が考えた理論なので誰も知るはずがありません。

昨日、研究室の研究室のボスの妻でポスドクのアメリカ人と激しい議論をしました。彼女は生き物の遺伝子発現を調節するプロモーターの研究(マウス)をしているのですが、哺乳類とホヤとの遺伝子調節の制御レベルは一緒だというのです。僕は、ホヤのほうが遺伝子調節の仕方はあいまいで、あまり制御されていないという考えを持っていますから、意見が少し衝突しました。

彼女の考えでは、生き物はシンプルに見えても調節レベルが劣っているとか、劣っていないとか考えるのはおかしいといいます。哺乳類は哺乳類でパーフェクトと思うかもしれないが、ホヤはホヤという生き物として形作るためにパーフェクトな遺伝子発現がされているはずだから、プロモーター制御も同じだけコントロールされていると考えているそうです。進化の考え方でそういう理屈があるのかも知れませんが、僕は彼女の考え方には少し思考が停止してしまっている部分があると感じました。

僕の考えでは、ホヤのプロモーターによる遺伝子調節は哺乳類のそれよりもあいまいである。これは、いろいろな例を見てきて事実だと思うし、器官の複雑さや発現している遺伝子の数がそもそも違うし、ゲノムのサイズも違う。そして、プロモーターが複雑でない分細胞分裂や遺伝子の偏りなど別の部分で補っているからホヤの形としてはいつも同じ発生ができるようにコントロールされているんじゃないかと漠然と考えていました。

議論している時はお互いに相手の言っていることが理解できずに話は平行線でした。

だけれども、彼女の言いたいことを良く考えていると、「トータルO理論」が出来上がりました。

たぶん、世の中のいろいろなことはトータルとして一緒なんだと思います。人間が何をしようとしまいとトータルは一緒。一見、すごく何かが変わっているように見えますが、トータルとして同じ。只、チョイスが違っているだけなんだという理論です。

例えば人間は車を作りあげました。そのことによって何が起こったのかと、車を作らなくて何が起こったのかを比べると結局トータル一緒という理論です。

車を作ると努力・勉強・失敗など数々の努力が必要 しかし、達成感が得られる。車を利用して便利な生活ができる。資源が必要になってくる。(人間にとっては)環境破壊も同時に起こる。

車を作らないと、努力・勉強・失敗などが必要ないので楽。しかし、達成感もないし、便利な生活もできない。資源は必要ない。環境破壊も起こらない。

こういう、一見車を作っているほうがより何かをしている気がするが、それは人間の立場からみた達成感とか便利な生活があるからそう感じるだけで、実際には失っているものもある。

ただ、勘違いしてはいけないのは、何もやらないほうが良いといっているのではなく、チョイスの問題であるということである。人は便利なものを作ったり利用したり、アイデアを実現したりする満足感というのを喜ぶんだと思う。たとえ、トータルO(オー)であっても人はやりたいようにやっていくだろうと思います。

生き物に話を戻すと、より複雑な生き物はより複雑な優れた器官を持っていろいろなことを達成している。しかし、そのことでより能力は特別化してしまっているので、柔軟さは失われてしまっているわけだ。複雑でない生き物は複雑になっていない分、柔軟さが維持されている。複雑になろうがなるまいが、トータルとしての何かO(オー)は一緒なんだ。

例えば、猫は脳が人間ほど発達していないので、人間社会で働くことはできないし、気ままに生きることができる。その代わり、いつも死という危険や空腹という危険の元にさらされている。人は脳が発達しているために、複雑な社会を形成して、そこで働かなくてはいけない。その代わりに医療や食料に関しては安心できるメリットがある。

このようにトータルO理論で考えると、何か努力したりしても結局はトータル何も変わらないのかとがっかりしてしまう人もいるかも知れないが、そこに気づかずに漠然と生きているよりも、トータル変わりないかもしれないが、より自分のやりたい方向に自分がチョイスして生きることの大切さを具体的に考えることで、よりチョイスの仕方に磨きがかかるんじゃないかと思う。

楽をして生きれば満足感はない。努力をして生きれば大変だが満足感がある。

どちらもトータル一緒なのだが、どちらをチョイスするかは好みの問題かもしれない。