宮本茂

3月 19th, 2010 by MJさむらい 2 comments »

宮本茂と言う人を僕は全然知らなかったんですが、マリオやドンキーコングや、ゼルダの伝説など僕の好きなゲームを作っている人なんですね。

この宮本茂と言う方の面白いインタビュー記事がありましたので、メモ代わりにここに書いておきます。

”よくできたゲーム”と”面白いゲームの違い”とは?

これ、すごい面白いから読んでみてください。

なんだろう。
こういった優れた人の発する言葉には魅力がありますね。

僕が、このインタビューの記事を読んで思ったのが、何かを「成し遂げる人は妥協をしない」ということだと思いました。

スティーブン・ジョブズのオックスフォード大学でのスピーチでも思ったんですが、
何かこうしたい!
と言うコンセプトややりたいことなどがあって、それを実現するために技術とかお金とか、人とかのパワーをとにかく注ぎ込む。
そうして出来上がるものが優れた新しい時代のものを産み出すように感じました。

僕は自分の人生を振り返ってみたときに妥協しまくりで生き方を間違っていたと猛烈に反省してます。

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褒める能力

3月 18th, 2010 by MJさむらい No comments »

人を褒めるということはとても大事だと思う。
僕のような心のちっちゃい人間はこれがなかなかできないから、いろいろなところで問題をおこすのかもしれない。
できれば褒める能力というものをもっと磨きたいものだ。

最近気づいたこと。
妻を褒めておけば家内安泰である。
子供も褒めれば褒めるほど元気になる。
カナダの先生は言いすぎだろうというくらいよく子供を褒める。

自分の顔が嫌い

3月 17th, 2010 by MJさむらい No comments »

朝、娘が自分の顔は嫌いだと母親に言っていた。笑。

どうやら、自分の顔はカナダの人と違うからと言っていた。

そういうことを親に言える娘がうらやましいなあと内心思っていた。

僕は子供の頃、そんな事は親に気軽に相談できなかった。

いろいろな事を自分で抱えてしまい、自分で処理するしかなかったなあなんて思って、娘は健全に育っていてよかったなあと思っています。

これは母親の力が大きいかな。

ここから以下は僕のいつもの理屈っぽい話になりますので興味ある方はどうぞ。
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息子のゲーム好きには困ったなあ

3月 14th, 2010 by MJさむらい No comments »

クリスマスに任天堂DSなるものを子供に買ってあげて子供たちは夢中になってやっています。

すべて英語なのでまあ英語の勉強にもなるかなと思っています。

日本の大学の大学院生でも英語で書かれた説明書を読むのは嫌がったりするのに、子供たちは意味は分からなくても必死で分厚いゲームの説明書を読んだりするから面白い。

ロールプレイングゲームなど、英語で書かれていて面倒なのにやっているからたいしたものだ。

だが、やはりゲームを買い与えると問題が生じる。

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運転のうまいへた

2月 25th, 2010 by MJさむらい No comments »

僕はバスに乗って毎日仕事に通っている。
日によってはひどく運転のへたな運ちゃんがいる。
運転のうまいへたというのは、人によって基準が違うかもしれない。
僕の思うへたな運ちゃんは、
ブレーキや加速が急であったり、揺れがひどい運転手である。
こういう人はおそらく、速く運転する事が上手な運転の仕方だと思っているはず。

僕は、ひどく揺れるバスの中で本を読んでいると気持ち悪くなってくるので本を読むのを止める。
僕が運転手だったら、揺れができるだけ少なくなるように気をつけながら運転するのになあ。
ブレーキとアクセルをできるだけ使わないように運転すれば、使うガスの量も少なくなるので、経済的でエコ的だろうに。

僕は、同乗している客の気持ちを考えずに運転するドライバーにガサツさを感じる。
人が心地よくなることをみんなが心がけてすればいいのに。
そうすれば世界はもっと居心地がいいはず。

おそらく、運転手はあまり車酔いしないのだろう。
だからそういったガサツさにも気づかない。
僕は比較的車酔いしやすい体質なので、こういうことに気づく事ができているんだろう。
自分の気づいている事には、心がける事ができるが、気づいていないことに関しては心がける事ができない。
自分の見えないガサツさに恐怖を覚える瞬間である。

そんな事を心の奥で考えながら、ふとセックスについて考えてみた。

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大月町の海

2月 19th, 2010 by MJさむらい No comments »

水中眼鏡で海の中を見ると、透明すぎて海の底に落ちてしまいそうだった。

海底までは5mほどある。

高いところに立ったときの足のすくむような感じ。

力をできるだけ抜いてシュノーケルから入ってくる空気を吸った。

ゴーゴーと呼吸の音が耳元で鳴る。

浮き続けるため、バタバタと足を動かし続けなければいけないが、この場所にたどり着くまでのほうが大変だった。

浅い岩場では波に洗われて体のあちこちを岩にぶつけてしまうから。

ようやく深場に出てきたが、それ以上沖に出て行く勇気はない。

何しろ、波に流されたり、サメに襲われたりする恐怖を感じる。

何かあった時に、安全なところに帰れる距離でしか行動したくない。

子供の頃に観た「ジョーズ」という映画の怖さも思い出してしまう。

岩の陰から何か大きな生き物が出てくるんじゃないかとビクビクしながら波と波の間を漂う。

呼吸が整って来たら、何か獲物を見つけるために潜る。

一番のお目当てはこの辺りではガシラと呼ばれる根魚だ。

こいつを捕まえて今日の夕御飯を豪勢にしようというのが目的だ。

透明すぎる海の中ではモリを持った人間には多くの魚は近づかない。

近づいても平然としているのは毒をもったふぐとかゴンズイの類である。

大きな岩の陰にはミノカサゴがピンク色の衣装を身にまとって漂っている。

僕は食べれない生き物や綺麗すぎる生き物には手を出さず、おいしそうな生き物を求めて何度も潜る。

民主主義は本当に正しいのか

2月 16th, 2010 by MJさむらい No comments »

引き続き、「国家の品格」の話。

この本、正直言って言っている事はハチャメチャだ。
納得できない論理の展開もかなりある。

しかし、そういうところは省いて読んだとしても、「はっ!」と思わせる部分がある。
だからベストセラーになっているんだろうと思う。

今回読んでいるところに出てきた命題は

「民主主義は本当に正しいのか」

ということ。
いつの間にか、僕達は民主主義が正しいと信じ込んで生きている。
しかし、この本の筆者に言わせれば民主主義は間違っているそうだ。

この発想なかったなあ。

例えば、政府の支持率が低下したり、上がったり簡単にする。
こんないい加減な考えしかできない民衆の判断で政治が行われたら、とんでもない事になるぞという内容だ。

過激だが、確かに一理ある。

この本の中では、戦争をしていた時は独裁政治だったように書かれているが、実はヒットラーなどは国民から90%以上支持されていたそうだ。
歴史って言うのは、今の世の中が正しいと思い込ませるために使われているんじゃないかと思えてくる。
本筋をしっかり見ないと歴史なんて勉強してもアホになるばかりのような気がする。

そして今、最も影響力があるのはマスコミ。
マスコミが民衆をどういう方向で導くかによって政局が変わってくる。
小泉さんがマスコミを利用するのがうまかったように、民主主義で何かを決めるときには、マスコミを利用する技術が優れていれば大抵のことはかなってしまう。

民衆に媚を売って、民衆ウケのいいことばかりしていれば(もちろん巧妙にしなければ逆にたたかれてしまう。)、国の行く末をあまり考えていなくても立派な政治家になってしまう。
その辺りは、政策よりもマスコミを使うという技術的な事が一番大事になってしまっている事を意味する。

多数決で決めるのが正しいのか、正しくないのか。
あなたはどう思いますか?
多数決では何時間も考えて投票された一票も、人に薦められるがままに入れた一票も同じ価値なんです。
そういった矛盾が放置されていてはいけないような気がしてきた。

多数決が必ずしも良い道を選択するわけではない事に気づけた事が、この本を読んで一つ勉強になった。

論理だけでは説明できないことがある

2月 12th, 2010 by MJさむらい No comments »

論理だけでは説明できない事がある

という事を聞いて、いろいろ考えてしまっています。

理論で何でも説明できると考えることは危険です。

例えば、戦争をしてはいけない理論を100個作れれば、

戦争をしていい理論も100個作れる。

戦争が良いか悪いか判断するのは理屈ではないということです。

論理で戦争が良いか悪いか判定しようとするから世界から戦争はなくならない。

僕がなぜ初恋の人にふられたのか、それも理屈ではなかったんです(笑)。

理屈ではないからあきらめるしかない。

もし、あなたが失恋をして悲しい思いをしているならば、理屈云々じたばたするよりも、きっぱりあきらめて新しい恋を探しに言った方がよいでしょう。

嫌いなものは嫌いなのです。それと同じであなたの事が好きな人も現れるでしょう。

そういえば「国家の品格」という本にそんな感じの事が書いてあったなあと思って、もう一度読み直すことにしました。

ぼくは以前、「国家の品格」についてぼろくそに書いたんですが、

http://mjsamurai.com/books/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%93%81%E6%A0%BC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0/

面白いですね。

今読むと、まったく筆者が意図していることが別のところにある事がわかってきました。
しかし、僕には高等すぎて理解できていなかったと思えるところがたくさんある。

「ゲーテルの不完全性定理」
正しいか正しくないかを論理的に判定できない

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86

まったくわかりません。
もうちっと勉強が必要だ。

38歳

2月 6th, 2010 by MJさむらい No comments »

38歳とはなんだか不思議な響きだ。
え、もう?
みたいな。

さっき、同僚からいつの年代が一番よかったかと聞かれて、

30代が一番いいと答えた。

将来的には60代が一番ハッピーに過ごせる年代のような気がする。

60代くらいになるといろんな束縛から解放されいろいろ自由に考え行動できるのじゃないかなと思うし、そうなりたいと思う。

考えてみると、10代は成長するために必死だった。いろいろな事を言われるがままにやらなければならなかったし、自分でできる事なんてあまりなかった。

20代は思っていた以上に自分に実力がなさ過ぎて思ったことがあまりできなかった。
遊びや女性やいろいろな誘惑への雑念が多かった。
いろいろなしょうもない事と格闘してしまっていたような気がする。

30代になって家族というものへの責任が大きくなって来たが、自発的に行動して少しは何かしら自分のやりたいものへ近づけるような自分になって来た気がしている。
だけれども、いろんなことが実力不足である事を実感している。

これから未来の事はわからないが、このまま、60代まで成長する事ができたなら、一番60代くらいにハッピーな状態になれていそうな気がする。

18歳から大人になったと考えると、それからたったの20年しか経っていない。
80歳まで生きるとして残りまだ40年。
このタイムリミットの間に何ができるか、もうちょっと真剣に考えないといかんのかな。

人はそれぞれ自分の時間を生きていて、それぞれ違った時間の使い方をしている。
どうやって生きてきたかが大事になってくるのかな。

なにはともあれ、こんな無愛想な僕にも誕生日おめでとうと言ってくれる人がいることに感謝しております。
残りの人生はもっと素直に生きよ。

文系か理系か

2月 4th, 2010 by MJさむらい No comments »

妻が、とあるブログか何かで、文系と理系の人の傾向を書いている文章を読んで来て教えてくれた。

理系の考え方は
ある事がらに5%の間違いがあった場合、正しいとは言わない。

しかし、文系の考え方では
ある事がらに5%の間違いがあった場合、大体正しいという言い方をするそうである。

で、あるから理系の人とコミュニケーションする時は、理系の考え方を理解する必要がある。云々。。。

という事が書かれていたらしい。

僕はこれは全然違うなあという事で、いつもの論調で反論し始めたわけである。笑
ちなみに妻も僕も理系だが、妻は僕ほど理系的な考え方はしないと感じているらしい。

そもそも、文系、理系がこうだというわけ方は間違っている。
上記の5%云々という事は、本当は、
「論理的に思考できない人」と「論理的に思考できる人」の違いであると思う。
5%の違いをよしとする考え方は、そのものについて単純に真剣に考えていない。

例えば、幹細胞を使った治療があるとしよう。
その治療を受けて治るかも知れないが、5%の確率でガンになるとしたら、その事について「大体大丈夫です。」と患者に説明するだろうか?
そんな事はありえない。

例え文系の事がらだって、5%の違いにこだわらずにいい仕事はできないと思う。
例えば、法律とか経済、芸術のこととか、何もこだわらずに済ましてしまっていると発展も進歩もない。
5%の違いにこだわるからいい仕事ができるんじゃないだろうか。

僕が言いたいのは、5%の違いをうやむやにして、あまり考えない方が良しとする考え方はおかしいということだ。

もちろん、すべての事を真剣に考える必要はないと思うし、5%の違いを柔軟に考える必要性はコミュニケーションを円滑にすすめる際には必要だとは思う。

何でもかんでも真剣に取り組む事が嫌がられる風潮があるけれども、僕はあつくるしく思われようが自分の感じている5%の違いを大事にしたいと思うのである。